Cosmos The source of everything
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墨の匂い。仕事場に入って来た人は一様に「ものすごく墨の匂いがしますね」と言う。残念ながら私は墨の匂いを感じたことはほとんどない。どの世界の人も同じであろうが、いつも嗅いでいるからわからないのである。同様に感じないということで言えば、奈良の人は総じて礼儀正しくおおらかであると言われることもそうだ。そんなことは意識したことはないが、機会があって他を訪ねると何とはなくそういうことかという場面に出くわす。奈良で生まれて育つと、その潜在意識(サブコンシャス)のなかに、穏やかな自然と、慈悲深い仏教の教えや創世の神さまが入りこむのだ。総国分寺である東大寺から経によって漢字が伝えられ、写経に始まった書道は、奈良の墨や筆を生みだした。また、飛鳥の万葉集に代表され、続く古今集による仮名文字の発展など、このような言語の源という意味においても、大和は国のまほろばである。そのような奈良という土地とそこに暮らす人々に知らないうち、影響を濃く受けてきたのだろう。
私のアートは、奈良の特設書道科で学んだ書法芸術をベースに、女性としての感情を、それも日本女性の感情を隠す(ハイド)という感情の働き、動きを、文字ではなく線で、墨と和紙が織りなす調和で表現したものである。それは私の中の古い奈良の文化と国際都市である神戸の土壌が、合わさった結果でもある。私のアートは墨を意図的に落としたり、ぶつけたりせず、あくまで線を、書線を主体とする。また、その見え方は時間毎による日の光によって、まるで違うことを特筆しておく。
表現したいことはたくさんあるのだが、何が自分のなかで起こっているのか認識できない時期が長くあった。昨年のNYでの個展はそれを払拭してくれた。そこで、向き合ってきた力とは、墨という長年つきあってきた媒体で和紙に(エモーション、パッション、デザィア、フィーリングを)、忠実に表現していきたかったのだと気付かされたのである。欧米の芸術は反自然主義が中心で、人間の力を誇示するものが多いようだ。しかし日本の文化は禅に代表されるように自然と融和しながらも、人間が自然を圧していくしたたかさがある。加えて色のある世界はリアルな世界である。白黒の世界は、人間の意志による昇華作業が入るため、その分芸術としては完成度が高いと感じている。私の理解が広く受け入れられ、やがては作品がMoMAのコレクション入れられるのが現在の夢である。